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太平洋の奇跡‐フォックスと呼ばれた男‐ 映画レビュー

情報操作・洗脳教育・利用された武士道


泣ける度★★★☆☆ オススメ度◎◎◎
太平洋の奇跡
監督 平山秀幸
原作 ドン・ジョーンズ[作家]
脚本 西岡琢也、グレゴリー・マルケット、チェリン・グラック
音楽 加古隆


【映画解説】 公式サイトはこちら⇒
太平洋戦争の激戦地サイパン島でFOXと呼ばれアメリカ軍から恐れられ
たった47人の兵力で4万5,000人ものアメリカ軍を翻弄(ほんろう)し続けた
実在の日本人、大場栄大尉の実話を映画化した戦争映画。


【映画レビュー】
中国の改革は日本の明治維新をお手本にしたが上手くいかななかった
その原因は彼らの中に日本人のような武士道精神が無かったから
と言われている。
日本人には主君のためなら、いつでも命を捧げ
死ぬことを厭わない武士道精神のDNAが
代々受け継がれているのかもしれない。

明治から大正、昭和へと軍国主義に走っていく中で
大日本帝国軍の士官たちは
そんな日本人の潜在意識の中の武士道のDNAを巧みに利用し
“一億総玉砕、生きて虜囚の辱めを受けず”という誤った教育で
前途ある若者を洗脳し、大量に殺してしまったのではないか?

本作を観た率直な感想は
まさにそんな大日本帝国の間違った教育
隠蔽された情報から生まれた悲惨さ、過酷さ、と
その中で起きた“奇跡”ともいうべき物語というものだった


敵を殺さなければ殺されてしまう
戦場という殺し合いの最前線では
どんな過酷な状況でも負けない体力
どんな時も冷静に判断できる知力
どんな悲惨な体験をしても狂わない精神力
そして、奇跡としか思えない強運がなければ生き残れない。
でもいちばん大切なのは“生きたい”という
生への執着心ではないだろうか?

戦後28年目にしてグアム島で発見された横井庄一さんも
その翌年にルバング島から帰国した小野田寛郎さんも
生き抜いてゲリラ戦を継続し友軍来援に備えていたという
小野田さんは上官の横山静雄中将から
「玉砕は一切まかりならぬ。3年でも5年でも頑張れ、必ず迎えに行く。
それまで兵隊が1人でも残っている間は、
ヤシの実を齧ってでもその兵隊を使って頑張ってくれ。
いいか、重ねて言うが、玉砕は絶対に許さん。わかったな」という命令を受け
その命令を忠実に遂行し29年もの間あらゆる手段を使って敵を翻弄し続け
1974年に、かつての上司である谷口義美元少佐からの
任務解除・帰国命令が下るまで戦い続けた。
フィリピン軍司令官に軍刀を渡し、降伏意思を示した小野田さんは
処刑される覚悟だったという
横井庄一さんの帰国第一声「恥ずかしながら、帰ってまいりました」からも解るように
当時は、上官の命令は絶対で
やはり生きて帰ってくることは、許されない教育を受けていたのだろう。

本作で負傷兵が総攻撃に参加して華々しく散りたいと言った時
「我々は死ぬために戦っているんじゃない」
「生きて敵を倒すために戦っているのだ!」と応える
大場大尉の台詞が印象的だったが
“生きて虜囚の辱めを受けず”という教育を受けてきた
当時の若者たちの潜在意識には、戦場で潔く死ぬことが
生きて一人でも多くの敵を倒すことよりも
優先されてしまっていることに
洗脳教育の怖さを感じた。

あの当時、部下たちの命を預かる士官に
大場大尉のような合理的なモノの考え方ができる士官が
果して何人いただろうか?
自分の上につく士官の考え方ひとつで
多くの兵隊の命が奪われたり、救われたりしたのが
何とも言えない理不尽さを感じてしまう。

大場さん自身は当時”玉砕死”のみを考えていたという
「玉砕で死ぬべきところを生き残ったことについて、
果たして正しかっただろうか?という思いが常にあった」と
命を懸けて護った祖国日本の、帰還後の風当たりは、
常軌を逸し、冷たいものだったらしい。
だが原作者のドン・ジョーンズ氏は
その部分は唯一フィクショナイズにこだわった
「大場の本音は、”生き残って最後まで戦っての死”で、”玉砕死”は建前、
本音が”玉砕死”なら、当の昔に死んで、記録されることなどなかった」
大場さんにとっては、戦友への配慮や、本人の謙遜があっての発言だろうと、
その理由を述べている。


実際にはこの映画の米兵のように
紳士的で冷静な兵隊ばかりではなく
投降した民間人や日本兵も
映画で描けないようなひどい扱いを受けた
という記録も残っていて
※サイパンの戦い、生還した田中徳祐の証言を参照
当時は投降することさえ決死の覚悟だったのだろう

人格を保つことさえ難しい戦場という場所で、知略の限りを尽くし
敵を翻弄しながら46人の部下の命を守り
512日間も戦い続けた、士官としての大場大尉の精神力は並大抵ではなく
その結果200人近くの民間人と兵隊の命が救われたことは
8000~10000人の犠牲者を出したサイパンでの戦いでは
まさに奇跡としか言いようがない。


最前線で死力を尽くして戦って
奇跡的に生きて帰ってきた人たちがいなければ
私を含む“戦争を知らない子供たち”は
この世に存在していないかもしれない。
そういう意味でも多くの犠牲者を出した南方の戦場で
200人近くの命を救った一人の士官の奇跡の物語は
一度は観ておかなければならない貴重な記録なのではないだろうか?


※P.S
私の父は昭和3年9月生まれで、終戦を16歳と11カ月で迎えたため
最前線へは行っておらず、静岡の武器工場で働かされていた。
育ち盛りということもあって、おなかが空いて空いてたまらなかったらしく
我慢できずに、近くの農家の作物を盗んで食べたと言っていた。
終戦になり「武器弾薬庫なので絶対に近づくな!」
と言われていた倉庫を開けたら、なんと、将校たちの食糧庫で
自分たちに饑じい思いをさせながら
将校たちは毎日美味いものを食べていたのか!という怒りが爆発し
みんなでで簀巻きにして、川に放り込んで
その軍服を引っぺがして着て帰ってきたら
駅まで迎えに来たお祖父ちゃんが、
将校の軍服を着たわが子に、思わず敬礼してしまった
というエピソードを酔った父からよく聞かされた。
父の母と姉はこの映画に出てくるサイパンから飛び立ったB‐29による
昭和20年3月10日の東京大空襲で焼夷弾に当り亡くなってしまった。

20代の最後に会社を変わる狭間を縫って
父とサイパンに旅行に行ったのだが
観光で立ち寄ったバンザイクリフでは
慰霊塔に向い静かに手を合わせる父の姿が、今も記憶に残っている。

そんな父も昨年他界し、
段々と戦争の悲惨さを語り継ぐ人たちがいなくなると
このような映画が代わりに戦争の真実を伝えていくことが
とても重要になってくるのではと、つくづく感じる。




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